ただの学生運動のSEALDsが叩かれてるので擁護のために(前編中国と香港)

□まあつまるところ、全く違うところの国の話持ち出しても、ほとんど意味がないし、国民性とかも違うわけだからね。何よりも憲法守れと言ってるのに、憲法犯して、国会占拠すれば本末転倒というのを踏まえて。さらに言えば圧倒的与党を考えても数で決まるのだから、政権が独裁者かどうかも問題になる。そしてただの学生運動のSEALDsには何の責任もない。

■ジセダイ
「なんかSEALDs感じ悪いよね」の理由を考える ──中国や台湾の学生運動との比較から──安田峰俊
http://ji-sedai.jp/series/research/036.html
 今年9月19日未明、安全保障関連法が参議院で可決され、成立した。それに先立ち、同法の廃案を求める抗議行動(以下、反安保デモ)が大規模に展開されてきたことも記憶に新しい。今回の抗議行動は、脱原発関連デモをはじめ2010年代に盛り上がりを見せてきたリベラル系の社会運動の集大成といった観があった。

 反安保デモの特色のひとつは、SEALDs(自由と民主主義のための学生緊急行動)という学生組織が盛んにメディアに登場した点だ。日本では実に1996年の薬害エイズ問題抗議運動以来、ほぼ20年ぶりに学生運動が政治の第一線に登場した事件だった。

 この手の原稿を書く際のマナーとして、不粋を承知で自分の立場を先に述べておこう。まず、私は中国国家や軍部の安定性を基本的に信用していないので、日米同盟を強化する防衛政策の方向性にはおおむね賛成だ。現在、中国の軍事的なターゲットは南シナ海で、リスクに見合わない東シナ海への進出はポーズに過ぎないはずだが、仮に習近平が暗殺でもされてガバナンスのタガが外れれば、彼らが何をやるかはわからない。もちろん、有事の際にアメリカが本気で日本と一緒に戦ってくれるかも全然信用できない(これは安保法を成立させても同様だ)ものの、同盟の強化はアメリカの行動を多少なりとも裏付け、中国への抑止力を作り出すはずだろう。

□中国軍が外に向かうかどうか限らないしむしろ内乱が起こるかもしれない(苦笑)
 習が終わってもその上に大御所がいる。そう簡単に習が終わったからたがが外れるとは限らない。
 それにアメリカが一緒に戦ってくれるかどうか分からないと言ってる時点でおかしいのだから、同盟の強化しても裏づけにはならない。
 結局なんだかんだかいてても都合のいいように書いてるだけじゃん。もちろんどっち側からの意見か書いてるだけましだけどね。

■ただし、私は今回の安保法が改憲という手続きを踏まず、実質的にかなりグレーな憲法解釈を通じて成立した点には大きな問題があったと感じている。また余計な理屈は抜きで、日本が自衛隊員の血を流す選択肢を本質的に是認できる国家へと変わっていく未来にも、少なからぬ心理的抵抗感がある。仮に安保法が廃案になっていれば、それはそれでホッとしただろうと思う。

□グレー名憲法解釈ではなく真っ黒な憲法解釈なんだけど?ごまかしてるのが分かってるからあえてグレーにしてるだろ(苦笑)

■つまり、私の立場はあくまでも消極的賛成に過ぎない。これに「安保法には反対だが中国は怖い」という「消極的反対」の人も加えると、おそらく日本の世論の最多数派を占めるのではなかろうか。本件を前にした日本人の多くは、賛成にも反対にもどこか釈然としない感情がある「動揺層」だっただろうと思われてならない。

□そもそもこの中国論を出してる時点で汚いんだよ。衆議院の可決の時点でなかったんだから。参院で論破され、何も想定するものがなくなってきたから急に出してきた。

■ところで、そんな「動揺層」の一人であるはずの私は、SEALDsやそのシンパたちの活動についてはまったく支持する気になれなかった。不支持の理由は、彼らの動機(=日本の国家方針の転換に対する反発)よりも、活動の具体的なありかたやその言説への違和感が大きい。以下、私が従来の仕事のなかで触れてきた中華圏の複数の学生運動との比較から、その理由を考察してみることにしよう。

□シールズの発言のどこが具体的におかしいのか何故書かないのかな?(苦笑)

■敗れた運動が生む「賽の河原」

 東京で反安保デモがヒートアップしていた9月上旬、私は台北市内である取材をおこなっていた。現地で会ったのは、1989年6月4日に発生した六四天安門事件の学生運動指導者で、現在は台湾で亡命生活を送る王丹氏だった。

穏やかに話す王丹氏

天安門当時の彼(王丹氏)が表紙の著書

 王丹氏は1969年北京生まれ。北京大学在学中の1989年、学生運動にリーダーの一人として参加した。天安門事件後に2度投獄され、1998年のクリントン訪中を機に釈放。米国亡命後にハーバード大学で修士号を取得し、2009年からは「自分が行ける場所のなかで中国と最も近い」台湾に移動した。現在は台湾国内で文筆活動をおこない、大学で教鞭を執り暮らしている(本人フェイスブック)。

□すでに亡命してる時点で失敗してるよね(苦笑)ここから長いので引用を一部削除する

■そんな毎日に耐えられなかったのか、往年の六四天安門事件の学生指導者には、ある時期を境にメディアの取材の場から姿を消していった人もかなり多くいる。

 では、王丹氏はなぜ他の学生たちとは異なり、あえて「賽の河原」にとどまる人生を選んだのか。その理由はおそらく、事件で亡くなった数千人の犠牲者とその遺族や、現在もなお中国国内で弾圧を受けている民主化支持者たちの存在だ。「自分が蒔いたタネ」によって歯車を狂わせた無数の人生に対する、彼なりの誠実な責任の取り方なのだろう。

□シールズに何を求めてるのだろう?これ暴力を先導してるとしたら犯罪なんだが?(苦笑)しかもシールズのメンバーにはなんら責任はないからな。

■敗軍の将、兵を語る
王丹氏が述べた「天安門版、失敗の本質」は、大別して以下の4点にまとめられる。

1:思想的基礎の欠如

一人一人の参加者が「民主や民主運動について明確な概念」を欠いていた(つまり、民主主義が何なのかはっきりわからないままデモをおこなっていた)。結果、明確なイシューを打ち出せないまま天安門広場の占拠が長期化。時間とともに運動方針が混乱していった。

□シールズは戦争法案に反対してるシングルイシューだから(苦笑)

■2:組織的基礎の欠如

参加者に対するしっかりした指導の中心や指揮系統が存在しないせいで、途中から運動が四分五裂に陥った。

□シールズは代表がいないことになっているが、統制が取れてるから問題が多発しない。仮に国会前で問題が発生するのはシールズが主体ではない組織も入り込んでいるから。

■3:大衆的基礎の欠如

学生と知識人だけで盛り上がってしまい、一般国民(労働者や農民)への参加の呼びかけを怠った。また、政府内に存在するはずの改革派と「暗黙の連合」を組む姿勢をとることもできなかった。

□シールズはSNSなどで呼びかけているので、学生からお年寄りまで集まっている。TVでも流れているし。

■4:運動の戦略・戦術の失敗
運動を政治目的を達成するための手段として使うという意識が薄かった。デモ参加者たちは学生運動の“純粋性”をひたすら強調し、当局側への妥協や一時後退といった柔軟な戦術を一貫して否定。結果、ろくな目的もないまま天安門広場の占拠を長期間続け、弾圧を招くことになった。

□シールズは占拠してないからね。(苦笑)でもこれ弾圧を招いたから、中国政府が非難されるきっかけになったんだよ。民主主義的ではないと。まあそれだけの犠牲を払ったのだろうが。

■長期化した天安門占拠(香港「六四記念館」配布のPPTデータより)
 わかりやすくまとめれば、天安門の学生運動は国民全体から見ればごく狭い範囲の支持者たち(と言っても全国で何百万人もいたが)だけが内輪で盛り上がっていた運動に過ぎず、ノンポリの一般庶民を相手に問題を訴えかけることや、シンパ以外の人々と幅広く連帯することを最初から想定していなかった。また、「ピュアな若者の運動」というイメージで自分たちを縛ってしまい、「汚い大人」である当局を相手とするしたたかな交渉戦略を否定してしまった──。
 だから1989年の学生運動は失敗したというわけである。世界の歴史に名を残した事件の当事者の弁だけに、王丹氏の指摘は重い。

□国会前どころか日本中にシールズや、その他の団体が出来てるからな。学者の会もあるし。

■雨傘革命はなぜ失敗したのか
 例えば昨年9月に香港で発生した雨傘革命もそうだ。もともと中国当局相手の戦いは勝ち目が薄いものとはいえ、運動が掲げた香港の独自性の強調や行政長官選挙の健全化というテーマ自体は、少なからぬ「動揺層」の市民の支持を得られるはずの主張だった。だが、最終的に雨傘革命は瓦解し、複数の当事者が「何の成果もなかった」と敗戦の弁を述べるほど、実質的にはいかなる政治的目標も達成できないまま終わってしまった。
 事実、雨傘革命を客観的に分析してみると、特に「王丹の法則」の②・③・④にかなり合致することがわかる。
1:思想的基礎の欠如
行政長官(大統領)選出をめぐる平等健全な普通選挙制度の実現、というワンイシューのテーマを掲げた。ただし、運動の長期化とともに香港独立などの別のイデオロギーが混じったり、既存政党のPRの場として使われるようになり、主張は混乱していった。

□シールズの主張はなんら混乱していない。ただ今後選挙に生かすという部分で混乱はするかもしれないけどね

■2:組織的基礎の欠如
全体を統括する明確なトップが存在しなかった。有名な学生リーダーのジョシュア・ウォンも、参加した学生団体のひとつのトップにすぎず、絶対的なリーダーではなかった。結果、運動は分裂し、特に各占拠地域(金鐘・銅鑼湾・旺角)の連携は最後までうまくいかなかった。

□日本の場合占拠してないからね

■3:大衆的基礎の欠如
学生を中心に盛り上がり、若者層以外に支持が広がらなかった。むしろ、市街地占拠を通じて一般の商店主を敵に回し、デモ隊側も彼らの抗議に冷淡な姿勢をとったことで、少なくない市民からは静観どころか明確な嫌悪感を持たれてしまった。

□日本のデモの場合原発にしても、戦争法案にしても、できるだけ周りの迷惑にあらないようにしてるので、警察の衝突という非常事態にはならない。それをやると子供連れのお母さん連中がこれないから

■4:運動の戦略・戦術の失敗
戦略的な妥協や撤退を決断できず、市街地の占拠状態をズルズルと目的もなく引き延ばしたことで分裂が加速。最後はなし崩し的に崩壊した。

□結局時が来ればあきらめる的な要素だろう。アラブの春のエジプトの時も、もうあきらめかけてたのに強行したことで、内外の圧力が高まり政権が倒れたケースもあるが。

■雨傘革命の発生当時、日本をはじめ世界中で熱烈なシンパが生まれたことは記憶に新しい。だが、これは王丹氏の表現を借りて言えば、「学生運動の“純粋性”」ゆえに生まれた現象だった。このピュアすぎる立場は、やがて学生たちが採るべき戦略や戦術の幅を狭め、自縄自縛のなかで運動を失敗に導く最大の原因となってしまう。

□そもそもこうした運動で成功した例というのは少ないわけで、結果論だろう(苦笑)日本の場合特に強行策に出ないし。

■もちろん、中国共産党の周縁地域(各少数民族自治区や香港)への支配の限界性を明らかにした点で、雨傘革命の歴史的意義は非常に大きい。だが、彼らが25年前の「失敗の本質」を超えられなかったことも、やはり確かなのである。